2021年05月04日
『海底の舞踏会』改作 第1部:7 ヴィーナス、母の元へ
「エコエ・・・コ・・・ザ・・・・メ・・・・・」
直後、少女の身体は男の手から勢いよく打ち上げられた!まるでロケットのように。
そして、しばらくして・・・
・・・結局何も起こらなかった。しかし、それは男についてのことであり、少女には重大な変化があった。
・・・ガクッ・・・
少女の首が傾いた。自分の意思と筋肉の働きによる動きもすべて終り、水流による踊りが始まろうとしていた。
その時までに、この少女とは別に、二人の女の子が海底の洞窟に現れ、一部始終を眺めていた。
殺人鬼の男がいる中で、それは大変危険な状況のように思われるが、彼女たちは男には見えていなかったようだ。また、女の子たちの方も彼には無関心な様子だった。
・・・フワッ・・・
その少し後、少女の体から、何やら白い半透明のモヤモヤしたものが抜け落ち、それは、誰かに回収されたかのように、すぐに見えなくなった。
・・・ブチッ・・・
その直後、水中での踊りが始まるに合わせたように、少女を後ろ手に縛っていた紐が千切れた。
ある意味、隙をつかれた一瞬の死だった。別の見方をすれば、永遠にも感じられた長い長い責め苦の末の最期であった。そして、終わりのない闇の始まりでもあった。
少女は、その美しい目を固く閉じ、可愛い顔を苦悶と怒り、悔しさにゆがめていた。しかし、死後はそれ以上に悲しみをにじませていた。断末魔の中の最後に見たものは、母親の顔だったが、この子は、もう二度と優しい母に会うことはできないのだ。
女スパイと少女の違い。もう一つだけ付け加えさせていただければ、前者は両親とはすでに死に別れ、自分自身死ぬ覚悟はできていた。
しかし、この子は女スパイに憧れていたものの、その実は、まだまだ母親が恋しい、甘えたい15歳の女の子でしかなかったのだ。
一方、少女が『生』から『死』へと移り変わるわずかな時間に、彼女の顔に一つの表情が強くなり、またもう一つ加わった。『恥じらい』と『安堵』であった。
少女は白い水着が大好きだった。下着姿にも似たその格好が恥ずかしく、特に男に捕えられ死が近づくにつれ、その感情が強くなっていたが、この恥じらいこそが、彼女の顔をどんな化粧よりも可愛く見せていたことも確かだった。
そして、自分が死ぬことで、愛する男を殺めずに済んだことに安堵していた。
男に何も起こらなくて当然であった。死を覚悟した少女の最後の祈りは、
(殺されるのは、私を最後にしてください。私はいいですから、他の女の人たちは家に帰してあげてください)
というものだったからだ。
それは、あまりに優しい、優しすぎる若い魔女の最期だった。
そう、優しすぎたし、若すぎたのである・・・四つの意味で。
もっと大人の女性なら死なずに済んだはずだ。男の知らぬ間に海から帰り、何の迷いもなく奴を警察に突き出したことだろう。だが、この子にはそれができなかった。
次に、もっと大人の女性なら、わざわざこんな危険な場所には来なかったし、その必要もなかった。それ以前に、若さ、美しさ、そして可愛らしさといったものが男の目にとまることはなかったからだ。そうであれば、何事も起こらなかった。
三つめに、若さ故に水中での苦しみが長く続いてしまったことだ。
男は、これまで犠牲者たちをできるだけ苦しませず、楽に殺してきた。別に相手のためではなく、それが死体を手に入れる安全・確実なやり方であり、結果的にそうなっただけのことだ。殺人鬼といっても、特別なサディストだったわけではない。
ところが少女は、犯行現場である水中で捕らえられた不運もあるが、若く体力もあり、肺活量も大きかった。苦しみは意識が失くなるまで長時間続き、男には蛇の生殺しを楽しませた。拷問のような責め苦が終わったのは、彼女が息絶えた時だった。この子には、最期の苦しみが永遠に続く地獄のように感じられたのではなかったか。
しかもそれは、肉体的なものだけではない。精神的にも、恥辱の他、悔しさや悲しみなど様々な苦痛を感じねばならなかったのである。息が続かなければ、パニックのうちに何もわからぬまま絶命したであろうが、まだその方が、彼女にとっては心身ともに安楽な最期だったと思われる。
四つの意味で若すぎたということ・・・最後の一つは、開きかけた白いバラの蕾が、大輪の花を咲かせる前に摘み取られてしまった・・・若さゆえ失うものが大きすぎたことである。少女は、そのままでも十分美しかった。だが、自分の母親のような大人の女性の優美さに憧れていたのだ。
少女は、この暗く、冷たい洞窟の中で男を愛した。およそロマンチックさとはかけ離れた、陰気で、穢れた場所での切ない恋だった。
人生最後の数分間の短かすぎる恋だったが、その間に心身が急速に大人に成りかけた。それは、体液の分泌の話からもおわかりいただけたことだろう。生きてさえいれば、細面の美しい顔とくびれたウェスト、ほっそりした脚を持つ本格的な大人の美人となったことだろう。
だが、そこで生きて過ごした時間はわずか数分間、レッスンで男を好きになった時間を含めても、半日にも満たなかった。少女が成長するにはあまりにも短い時間だった。
男は『・・・君には10年早いよ。でも君が成長できる、大人に近づける時間は、10年どころか、もう1分もないんだけどね』と言っていたが、この洞窟を生きて出ることさえできたなら、たとえバレエ・スクール滞在中に男の毒牙にかかろうとも、この恋を機会に数日間で成長は無理にしても、素晴らしい変化を見せてくれたのではないか。
また、生きていれば素敵な経験をたくさん積んだはずだ。成績優秀な彼女は、高校・大学・就職と、自分の希望通りの進路を選べたに違いない。その間に、アスリートとして成功したことも考えられる。そして何より、今度こそ信頼できる、素晴らしい男性と巡り会って素敵な恋ができただろう。
恋愛が成就したなら、結婚しただろう。彼女の花嫁衣装姿はどんなに美しいかったことか。和装も素敵だが、ウェディングドレスも優雅だったに違いない。
おっと、その前に成人式だ。ここでの晴れ着姿もきれいだったろうな。その頃、彼女はいける口になっていただろうか?
結婚をしたら、子どもも生まれ、母親に成っただろう。子どもは何人生まれただろうか?最初の子は、彼女に似たきれいな女の子だろうか?それとも、ハンサムな男の子が生まれただろうか?どちらにしても、我が子をその手に抱く姿は神々しく美しかっただろうな・・・・・生きてさえいたならば・・・・・
だが、そんな未来は・・・いや、すべては跡形も無く消え去ってしまった。ふっくらとした優しい頬と、美しい健康的な太腿を持つ少女は可愛らしい姿のまま。もう、学校に通うことも、友と会い、笑い、語らうことも、制服を着ることすらないのだから。
やがて・・・
「うっふふふふ・・・・」
一方、少女が自分に向けてくれた愛や幼い恋心、優しさなど、男の方は知ったことではなかったらしい。この子が真剣に彼を愛し、悩み、苦しみ、迷ったほどには、奴は彼女のことを思っていなかったようで、笑い声とともに美しい体を抱き上げ、この惨劇もついに幕を下ろした。
海底の洞窟は、それまでの静けさを取り戻した・・・まるで何事もなかったかのように。
男が手を離すと、少女の死体・・・正確には、意識を失くし、自発的な呼吸を止めただけで、蘇生の可能性も十分に残されているのだが、男がそれを行うことはまずあり得ないので、あえて『死体』と呼ぼう・・・は、まるで十字架から下ろされたように、洞窟の天井からズルズルと降りてきた。形の上では、解放され、自由を取り戻したのだが、最初のうち、宙、いや水中を漂うばかりだった。
しかし、そこは生前器械体操の選手だった少女である。意識を失くした今も、体はその動きを忘れてはおらず、美しく舞いながら水中を降下し、最後には月面宙返りを見せ、見事に海底に着地した。
きれいに揃った少女の両脚はしなやかに伸びていたが、着地した直後、両膝はわずかに曲りショックを和らげていた。そして次の瞬間、伸びやかに反発していた。
しかも、落下する際の水流の影響で、両腕も上がりフィニッシュの形となった。それに合わせて、彼女は高らかに胸を反らし顔を上げた。その胸は15歳の少女としては豊かなものであり、顔は泣いているようでもある中にも優しく笑みをたたえたような表情が可憐だった。そして、尻や肩をはじめとする手脚の筋肉はピンと張り詰めていた。
男は、先回りして洞窟の底に着き、前からその姿を眺めていた。少女の美しい死体は、男の芸術の15年間の総決算だったが、少女自身にとっても同じことが言えた。海底の洞窟で男の手に落ちたわずか数分間に起ったことに、少女の短い一生の美が凝縮されていた。
少女自身が、
(私は、この捕らわれの身の何分かのため、この世に生まれてきて、15年生き、成長し、バレエやスポーツで身体を美しくしてきたの。生まれる前から決まっていたことなのよ。こうして先生といる今が、舞台や試合以上の人生の本番なんだわ・・・)
と、断末魔の短い時間に思ったほどだ。
白い水着姿で捕われの身になり、恥じらい、悔しがり、悲しむ姿は可憐なものだった。断末魔の苦悶の表情と悶える動きは、可愛らしさとセクシーさ、エロティックさを併せ持っていた。そして、その苦しい息の中で、自分を捕らえ殺そうとしている男を愛する姿は、優しく微笑みまで浮かべ、可憐で神々しいものだった。
そういった一つ一つの美しい場面は、その瞬間瞬間のものであり、残酷な運命が演出したものだったが、少女のそれまでの人生、特にスポーツやバレエによる美の積み重ねが無ければ、成り立たないものだった。また、彼女ほどの人でなければ、そんな美しい死の機会を得ることはなかっただろう。
それは、まさに少女の短い一生の美の集大成だったと言えよう。中でも、フィニッシュ時のポーズと、その直前の宙返りには、それまでの美しさをはるかに凌ぐ、最高の美があった。なぜなら、それは少女の15年の生命の美の集大成であっただけではなく、彼女が永遠に抜け出ることのない暗闇と、無限に続く死体の美の最初のものでもあったからだ。
この演技は少女にとって最初で最後のものであった。
この後永遠に続く水中の踊りの最初のものであり、衣装を着けて踊る最後のソロ演技。
死体としての最初の踊り、生体としての最後の踊りでもあった。
そうこの時少女は『生と死の狭間』にいた。前々章でも同じ表現を用いたが、意味は大きく異なる。その時は『殺害されることが確定した健康な生体が死を待つ時間』という意味だったが、今回は『心肺停止、それも蘇生処置が望めない仮死状態』ということなのである。
それこそが彼女のベスト・ショットであり、永遠にも見えるような美しい時間だった。
しかし、残念ながら永遠ではなかった。力を失くした両腕は、ダラリと前に下がり、だんだん前のめりになりながら、惰性によりフラフラと歩き始めた。
男は、少女の直前で着地シーンを見ていたが、死体が自分の方に向かいゆらゆら揺れながら歩くのが幽鬼のようで恐ろしかった。
慌てて横に逸れて逃げたが、少女がそのまま通り過ぎようとしたので、とり殺される恐れも失くなったと思い、無害な彼女とともに歩いた。つい数秒前まで、少女を殺そうとしていた自分と、それに激しく抵抗していた被害者とが仲良く並んで歩いていることがどこか可笑しかった。
(こんな丸ぽちゃの小ダヌキ、どこが怖い、何が恐ろしいんだ)
と、男は自らを嘲笑した。実際、これまで数多くの女を殺しては、その身体を弄んできたが、死体や亡霊に恐怖を感じたのは初めてのことだった。
白い水着姿の少女を、死装束を着た死体にたとえ、下着、特に小学生のパンツみたいだとからかった男だったが、隣で歩く彼女の悲しみを浮かべた横顔を見た時には、そんな感情はどこにもなく、畏れすら感じていた。
いや、そんな軽口を叩いていた時でさえ、少女を軽く見ていたわけではなかった。恋愛経験の浅い男は、可愛い女の子をどう扱って良いかわからず、彼自身も中学生帰りして愛しい彼女の気を引くためにそんな態度をとったのである。
実際、少女は美しかった。男はこの時には、彼女のことをヴァージンロード(Wedding Aisle)を歩むウェディング・ドレス姿の花嫁のように、互いを新郎新婦のように感じていた。まだ意識のあるうちに、そう言っていたなら、少女はどれだけ喜んだことだろう。
我が国では法的に結婚できる年齢に達していなかったが、おそらく日本一幼く、世界一可愛い花嫁だっただろう。
少女の死体は10歩近く歩いていた。それは、前に倒れる動きと、前からの水流の微妙なバランスによるものだったのだが、物言わぬ躯の中にも、「家に帰りたい」「母の胸に抱かれたい」という意思が残っていたのかもしれない。
しかし、やがてその体勢は崩れ、小さな子どもが転ぶように、海底に真っ直ぐうつ伏せに倒れ込んだ。
力を失い、一度は下がった両腕だが、体が倒れる時の水流で、まるで母親と抱き合おうとするかのように、最後にもう一度だけ上がり、最終的に海底に倒れ込んだ時、体と両腕はYの字の形になっていた。
この時、少女の唇がかすかに動いたように見えた。
(お・か・あ・さ・ん・・・・・)
そう言っていたのかも知れない。
「うっふふふふ・・・・」
男は、その足元に立ち、倒れた少女の背を見下ろし、震えながら笑うのであった。
時間的に前後するが、約4時間前、少女が飛び出した直後の彼女の部屋。
水晶球は、少女がいた間、途切れ途切れに彼女の運命を映し出していたが、黒魔術を封じられた持ち主が去った後、急に鮮明な画像を取り戻していた。
少女が部屋から出る前、水晶球は最初と最後から二つづつの画像を映していた。途切れ途切れに見ればコミカルだったかも知れないが、その全体は、やはり一人の少女の運命、そして最期を映し出していた重いものであった。
こうして少女の冒険の旅が終わった。
天使のように可愛い少女は、冒険の旅から還帰らなかった。亡骸すら戻ることはなかったが、彼女の魂は、やがて本物の天使となって、天国へと旅立った。
海底の洞窟で少女が死んだ少し後の東京の彼女の家。その日父親は出張中で、母親は一人で眠っていた。
母親の元に少女が帰って来た。もちろん幽霊である。少女は、そのベッドの足元に、生前最後の姿・・・後ろ手に縛られたずぶ濡れの白い水着姿・・・のまま立ち、セミロングの髪からはポタポタと水が滴り落ちていた。肌の色は蒼白で、生気を感じさせなかったが、それが白い水着とよく合っていて、生前とはまた違った美しさと可憐さを見せていた。少女は母親を見つめているようにも見えたが、その目は閉ざされていた。泣いているような顔でもあったが、顔も濡れていたため、たとえ涙を流しているのを見てもわからなかっただろう。少女は、身動き一つせず、母親に声をかけるのでもなかった。何もすることなく、水着姿の幽霊は立ち尽くしていた。
ニャーオ!ニャーオ!!
それを見て、この家で飼っている猫が騒ぎ出した。魔女に相応しい真っ黒な猫だ。
「何よ、人が寝ているのに。お腹すいたの?」
母親が、眠い目をこすりながら目覚めた。しかし、暗闇に立ち尽くす、明らかにこの世の人でないとわかる少女の姿を見ると、
「ねえ、いつ帰って来たの?どうしたの?そんな格好で?こんな所で何をしているの?」
と、可愛い少女、本当に可愛い、目の中に入れても痛くない可愛い我が子に呼びかけた。
その声に、少女は眠りから覚めるように、ゆっくりと薄目を開けた。本当は可愛らしく右手をバイバイと振りたかったのだろうが、残念ながら後ろ手に縛られていた。軽く微笑むと、お辞儀をするようにコクリコクリと軽く頭を振った。
母親は、狂ったように我が子の元に駆け寄り、抱き締めようとしたところ、その姿はかき消すように見えなくなった。幽霊は明るい朝の光の中では長時間存在できないのだろうか?
今度は、母親が少女と同じ場所に立ち尽くした。その場所は、冷たく濡れていた。母親は、その場所を自分の涙で更に濡らすのだった。
一部始終を見ていた黒猫は、心優しく飼い主思いだったので、何とかして母親を慰めたかったが、体を擦りつける他になすすべはなかった。
少女の霊が自分の家で姿を見せたのは、これが最初で最後だった。だが・・・
その日の夕方、少女が7月まで通っていた、生きていれば9月からも通うはずだった、東京都〇〇区立〇〇中学校。
ソフトボール部の女性コーチは、とうに暗くなった校庭にいた。同じコーチでも、少女が生前所属していた体操部のコーチとは異なり、教員ではなく、民間から手弁当で来ていた熱心な指導者だった。
ふと顔を上げると、体育館の中が薄明るいのに気がついた。
(ライトの消し忘れかな?)
そう思った彼女は、確認のため体育館の中に入った。
「あっ?!」
思わず声をあげてしまった。そこで彼女が見たものは、段違い平行棒の前に立つ白い少女の姿だった。
コーチの声を聞いて、少女は振り返り、優しく微笑みながら頭を下げた。直後、低い方のバーにとびつくと開脚してそれを飛び越え、高いバーをつかんだ。こうして段違い平行棒の演技が始まった。
少女の演技は延々と続いた。競技会では、だいたい数十秒ほどであり、あまり長いと減点の対象になるらしいが、この少女の演技は数十分という人間離れしたものだった。
ボ〜ン
バーで腹を打つたびに飛沫があがった。
(汗っかきな子だなあ)
ソフトボール部コーチは思ったが、少し様子が違うようだ。そういえば普通の選手だとこの時に、バーンッ!という硬質な音がするが、この子はボ〜ンという鈍い音だ。お腹の肉づきが良いためか。
(太っているから、よく汗をかくのね)
そうも考えたが、すぐに考え直した。
(この子が太っているんじゃなくて、体操部の他の子が細すぎるのね。きれいなスタイルしているわ。他のスポーツ、水泳か何かの選手かしら?)
少女が着ていたものが、レオタードではなく、細いストラップのついた白い水着であることに気がついたからだ。
そして、少女自身がぼんやりと発光していることにも・・・この時、体育館の照明の消し忘れはなかった。
コーチは、少女がこの世の人ではないことを理解し始めたが、まったく怖いとは感じなかった。とても可愛いし、演技前に優しく微笑みながら一礼した礼儀正しさにも好感が持てた。もし、近くに来たら、逃げるよりも抱き締めたくなるだろう。そして、
(可哀想に、どうして溺れたんだろう?)
コーチは、少女の水着姿と、それが濡れていることから溺死を想像し、憐れむのだった。彼女にも同じくらいの歳の娘がいたので、どうしても心配し、思ってしまう。
少女は、段違い平行棒の演技を続けていたが、フィニッシュを決めることなく、その姿は薄くなり、やがて消えてしまった。
だが母親の前に現れた時と違っていたのは、中学校にはその後も何度も姿を見せたことだ。夜な夜な、体育館、校庭、教室、プール・・・などに出没し、特にプールでは、格好いいクイック・ターンを何人もの生徒たちが目撃していた。その姿は、夜の闇の中である以外、生前のものと何一つ変わるところはなかった。
この子の幽霊は、やがて『白い水着姿の美少女』と呼ばれるようになった。
もっとも、最初に目撃した女性コーチ以外は、幽霊の顔をはっきりと見ていなかったので、誰もその正体を知ることはなかった。
しかし、話はそのままでは終らなかった。
9月に入り、2学期が始まっても、少女は登校しなかった。行方不明のままだったのである。それにより幽霊の正体が誰の目にも明らかになった。
更にその後は、幽霊らしからず白昼堂々と姿を見せるようにもなり、その正体はますます明らかになった。
噂は噂を呼び、話には尾鰭がついた。男の子は助平心から、女の子は成績優秀な美少女への嫉妬から話を創作した。どれもが反吐の出るような酷いものであった。
更に、少女の死後のヌード写真も出まわることとなった。先の噂話とは異なり、美しく、芸術的なものだった。また、陰毛がないことも含め、実際に海底の洞窟で彼女の死体を撮ったとしか思えないリアルなものであった。
いずれにせよ、ただでさえ悲しみに沈んでいた少女の遺族に無責任な情報が追い打ちをかけ、彼らを傷つけ、苦しめることには変わりがなかった。
再び時間的に前後するが、こちらは少女が死んだ海底の洞窟。
その外・西の空では、一つの明るい星が更に輝きを増していた。それは少女が空気中で見た最後のものだったが、彼女を祝福しているようにも見えた。明けの明星(venus)は、自分の妹のような美の女神(venus)が姉妹星である地球に生まれたことを喜んでいたのかも知れない。
少女は、この洞窟の誰よりも裸に近い姿で呼吸をやめた。
先に男について、『少女が自分に向けてくれた・・・少女のことを思っていなかったらしい』と申し上げたが、必ずしもそうとは言えないようだ。男は少女を可愛く思っていた。また、途中からとはいえ、男は少女の気持ちを理解し、感謝し、自分からも少女を愛して、相手の気持ちに応えようと思った。
男は、少女をすぐに裸にするのかと思われたが、そうではなかった。他の誰よりも、着ているものを脱がすことは簡単なはずだったが、実際には彼女に対して、それをするのはかなりの覚悟が要った。他の女性を裸にすることなど、自宅に届いた郵便物を開けるほどのためらいもなかったのだが。少女は、男に発見される直前、男の扱いについて迷っていたが、実は男の方も二つ迷っていたことがあった。
今まで、この男の愛の形態は他の者とは明らかに違っていた。美しい女性とその美しさを、この海底の洞窟で永久保存し、自分だけのものにすること、それは彼の愛情の最上級の形だった。女性たちは、自分に選ばれたことを喜び、誇りに思うべきだと彼は考えていた。したがって、殺すことそのものには、少しの迷いもなかったのだ。
だが、この少女に対してはこれまでとは違っていた。『犯行』の『目撃者』は消さなければならないが、彼女のことが可愛くなり、だんだん殺したくなくなっていた。そのためにはいっそう心を鬼にしなければならなかった。少女が死に近づけば近づくほど、可愛くなってきた。
(この子だったら、自分の正体を知っても愛してくれたのではないか?)
そんな思いがあったのだ。普通ならあり得ないことだが、実際彼が感じたことは正しかったようだ。男が、少女を精神的に可愛く思ったところを紹介しよう。
自分のことを愛していたから、少女は夜の海を、水着一枚だけの姿で遠くまで泳ぎ、深く潜り、ついて来てくれたのだと思った。
海底の洞窟で死体が踊るのを見ても、少女は逃げなかった。自分と同じタイプの人間のようだ。
そんなことを思うと、殺してしまった少女のことが愛おしくてたまらない気持ちだ。
彼は、うつ伏せに倒れた少女の死体をしばらく眺め続けていたが、まずはその後ろ姿に向かい合掌し、エンゼル・ケアを施した。水着は脱がさず、尻の部分の布を少し持ち上げただけで行った。すでに意識を失っていたにも関わらず、彼女はその痛みに苦悶の顔を更にしかめた。
この処置は、少女とその白い水着のためだった。彼女には、もうしばらく水着を着せたままにしてあげたかったし、そのためには、大切な水着を汚さずにおきたかったからだ。自分のような人間にこれだけの利他的な面があることを知り、彼はただただ驚いていた。
エンゼル・ケアを終えると、男は少女を岩の上に仰向けに寝かせた。その岩は、数分前に彼自身が立っていたところだが、ちょうど少女の身長よりも少し長いくらいで、上が平らなベッドのようだった。
少女の両手を組ませると、その枕元に男は立ち、もう一度合掌した。先ほどよりも、長く丁寧に祈りを捧げた。
男は、少女の髪を愛撫しながら、添い寝をした。そう、これは二人にとっての初夜だったのだ。
そして、彼は語った。
「さっきの裸身の女の子(第4章の最後で話した15年前に溺れた少女のこと) の話の続きをしてあげよう。これまで、十数人もの女たちをここで踊らせてきた。バレエスクールの女生徒が大半だったが、観光旅行中の女性もいた。空気中で殺しては、着ているものを脱がし、死体をここに運んできた。何も知らない、わからないうちにね。なかなか大変だったよ。その後は、自分に疑いがかからないよう、脱がした服を海水浴場に置いたんだ。遊泳中に溺れて行方不明になったと片づけられるようにね。だが、満足できたことは一度もなかった」
そう、あの海岸で実際に溺れたのは15年前の女子高生だけで、それ以外は水の事故などなかった。すべては溺死による行方不明に見せかけた殺人事件だったのだ。
「君も、本来そうなるはずだった・・・」
くり返すが、この時教えられても、あまりに遅すぎた。特に死んでからでは抵抗一つできない。
「・・・しかし、君がわざわざ自分から来てくれたのには特別な意味があるんだよ。それは、私の手間が省けただけじゃないんだ。私と同じ趣味・嗜好の仲間である君が、君自身の意思と行動と水着一つの姿で、わざわざ自分から遠いところを泳いで来てくれて、海底の洞窟に呼吸をやめて深く潜って来てくれて、死体の踊りの美しさを見てくれて、私の話を聞いてくれて、素晴らしさを知ってくれて、ここ水中で死んで、そして生き返ってくれたんだからね・・・」
男は、少女の行動や動詞にいちいち「・・・くれて」「・・・くれる」「・・・くれた」をつけていた。彼なりの感謝と敬意だったのかも知れない。
「・・・そう、君こそがヴィーナスに相応しい!!そして、君のように若く健康的で肉感的な身体が私の理想なんだ!西洋芸術で痩せた女性の裸身なんて見ないよね」
そして少女は、自分がまだ子どもであること、少し太めであることを気にしていたが、男にとっては、若すぎたわけでも、太っていたわけでもない、むしろ理想的な身体であったのだ。
驚くべきことに少女の死顔は安らかに変わっていた。死んだ直後の苦悶と怒り、悔しさ、そして悲しみの表情、エンゼルケアの時は更に顔をしかめていたはずだったのだが。
おそらく、愛する男といること、自分が愛されているのを知ったことが短時間のうちに表情を変えた理由なのだろう。その死顔は、まるで自分のベッドで気持ち良く眠っているようだった。今夜、自室でそのまま眠っていたら、生きて同じ顔をしていたはずだったのだが。
その表情は、死してなお楽しい夢でも見ているようだった。
彼女の肉体は、永遠の安らぎを楽しんでいたようだったが、その霊魂はまだ別の戦いを繰り広げていた。また、エンゼルケア以外にもいくつかの処置を施されていたが、そちらについては、また別の章に譲ることとさせていただこう。
さて、生きている者に話題を振ろう。男の迷いのもう一つは、水着を脱がすべきか、脱がさざるべきかだった。彼の中で、一人の芸術家と一人の男が戦っていた。芸術家としての彼は、全裸にしなければ芸術ではないという主義だった。
一方、一人の男としての彼は、これでいい、少女は水着姿のままで十分だと思っていた。股間を勃起させ、ウェットスーツの中は精液にまみれていたが、メンタル的には意外に純情だったのである。
(そうだ、初恋の人・女性の本当の美しさを教えてくれた彼女だって、全裸ではなく水着を着けていた・・・私は『裸身』と呼んできたが。この子だって、水着姿のままでいいんじゃないか。まだ子どもなんだし)
結論が出ぬまま、男は少女を水着姿のまま抱き、ともに踊りもした。そして更に可愛く感じた。だが、まだ決められずにいた。少女の身体は水着を着たままでも十分美しかったからだ。
(これまで十数人の女性を裸にし、ここで踊らせてきたが、水着を着けた初恋の人を超える女性は一人もいなかった。やはり水中で死んで、水中で生まれ変わらないと・・・)
だが、ついに男は決心した。
(許せ、許してくれ!君はヴィーナスになる運命なんだ!そして、芸術作品は裸身でなければならないんだ!!)
彼は、死体の両肩、正確には水着の肩紐・ストラップを両手でつかんだ・・・
その瞬間、死んだはずの少女は激しく表情を変えた。それまで安らかに瞑っていた目をカッと見開き、噛みつかんばかりに大きく口を開けた。それはそれは凄まじい形相だった・・・
・・・とはいえ、彼女なりにだ。元々の顔立ちが丸く優しいものなので、それほど恐ろしいものにはならなかったのだが・・・ただ、その表情の変化は、まるでまだ生きていて、意識を持っているようだった。
しかし、先ほどとは異なり、もはや自分の意思や力では、抵抗することはおろか、指一本動かすこともできなかった。
一方男の側は、
(白い水着の下には、黒々とした・・・)
普通ならそう想像するであろう・・・実際、これまで殺した女たちの下着を脱がした時は、そこに真っ黒な茂みがあった・・・そう思いながら脱がした少女の水着の下には、つきたての餅のような白い肌があった。よく日に焼けた水着の外の肌とのコントラストは、まるで白い水着の下にもう一着同じものを着ているようだった。
彼は、急変した表情とツルツルの下半身を交互に見くらべ、驚き、詫びた。
(あっ、ごめんね。まだ・・・でも・・・)
少女にとって、一本の毛も生えていない股をさらすこと・・・その恥ずかしさは死そのものよりも辛かったに違いない。
死の直前まで、いや死後も愛した男には絶対見せたくない秘密の姿だったのだ。また、そんな男にかけられた言葉もさぞ悔しかったことだろう。
だが・・・
男は、そんな少女の下腹部に口づけをした。また、女の子たちの霊の一人も少女の唇に同じことをしたのだ。20世紀の葛飾北斎・『蛸と海女 1977』は、陰毛を欠きながらも、3次元の素晴らしい芸術作品となったのである。
少女は、15年という短い一生を水中で終えた。
ほんの何秒かの心の迷いにより、この子がこれから生きるはずだった数十年という時は永遠に閉ざされた。
少女の死体は水着を脱がされ、男のコレクションである全裸美女たちの踊りに加えられた。彼女自身が数分前に見て、憧れ、激しく嫉妬までしていたものに。
そして、夜が明けるまで男の胸の中で眠り、その後も男が死ぬまで毎晩愛撫を受け続けた。
もう、花嫁衣裳や二十歳の晴着を着ることもない。秋から再び学び舎に通い、友と会い、笑い、語らい、春に巣立つ、制服を着て・・・そんなことすら叶わなくなった。
少女自身、それまでの女生徒たち同様、行方不明者のリストに加えられた。
彼女がどこにいたのか、何をしていたのか、どんな最期だったかを誰も知らなかった。
ただ皆が「あんな元気な子が」「優しい子が」「可愛い子が」「可哀そう」「若すぎた」と憐れむばかり・・・やがて時とともに、この子のことは忘れられていった。
しかし、短く幸薄い一生とは裏腹に、その美しい裸身は、同じ水中にあって朽ちることを知らなかった。
ふっくらとした優しい頬も、形の良い胸も、可愛い尻も、きれいな太腿もすべてそのままに・・・少女を知る、そして忘れた人々が年老いて大地に還った後も、暗く冷たい海の底で、誰にも知られぬまま永遠に眠り続けるのだった。
(続く)
何とも救いのない終りとなってしまった第1部ですが、第2部以降は、まさかのハッピー・エンドに向けて動き出します。
残された人々の活躍に、どうかご注目ください。
【次回予告】
蘇生
奈々子は、黒魔術を用いて、溺死した我が子の蘇生をはかった。ミサは生き返ることができるのだろうか?
http://ilgattonero.livedoor.blog/archives/10499098.html?ref=head_btn_next&id=8392744
もう一つお願いできれば、いつまでもきれいな姿でいさせてください
ilgattonero at 22:24│Comments(2)│小説
この記事へのコメント
1. Posted by オジー・オズボーン 2021年05月05日 09:51
GATTO様、おはようございます!
怪奇色満載の新作をありがとうございます😊
怪奇色満載の新作をありがとうございます😊
2. Posted by Gatto 2021年05月06日 12:21
オジーさん、
早速のコメントありがとうございます。この後、ストーリーからはだんだんエロが抜けますが、見せ場はまだまだありますので、楽しみにしていてくださいね。
早速のコメントありがとうございます。この後、ストーリーからはだんだんエロが抜けますが、見せ場はまだまだありますので、楽しみにしていてくださいね。